人工知能の歴史を紐解いて行きたいと思います

プログラマーとしても知られています

コンピュータとネットワーク時代の新しい技術ですまた
大体話の筋は決まっていて·心理学では実験を非常に精密に行う。
これは心理学が学問として成立するために必要とされたからである。
そうした観点から、時々工学系の論文査読を依頼されるのだが、評価実験が全くなっていない。
今日は君たち無知な工学者たちに、評価実験はどのように行うか教えてあげよう。
ところで独立変数と従属変数の定義はもちろん知ってるんだろうね。
これを書いてしまうと今後こうした集まりに参加しづらくなることを承知の上で書くのだが、こうした講演を聞いているとだんだんいらいらしてくる。
そして頭の中に「研究補償説」
という言葉がぐるぐる回りだすのだ。
これは「人間は専攻分野を選ぶとき、自分に最も欠けているものを選ぶ」
という(一部で)有名な説である。

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例えば、不肖ワタクシめが身を置く音楽学業界を考えてみよう。音楽学者は軒並み実際の演奏、あるいは唄がヘタクソである。少なくともそのような自己イメージを強く持っていることは間違いない。言い換えれば、演奏や唄のうまい音楽学者はロクな研究成果を挙げていない。そう、音痴だからこそ、あるいは演奏技巧作曲の才能などの欠如を埋めんと欲するが故、彼らは音楽を学として専攻するに到ったのではないか。すなわち、優れた音楽学者は必ず音痴である、との命題が成り立つのである引用元:本日つらつらと考えたること例えばモーツァルトは天才的な音楽を作曲したが、それ故彼は「音楽」
を学問として捉えることはできなかったのではと想像する。

 

ロボット工学は古くから存在して

モーツァルトに「何故あなたはそんなに素晴らしい曲を作れるのですか」
と聞いたとしても「らららー。うんこー」
くらいしか言わなかったのではなかろうか。逆に楽器を演奏したり、歌唱したりするのが下手な人はそれ故音楽を学問として客観的に解析することが可能だったのだ、と。
などとモーツァルトまで飛んだ思考を現実世界に戻す。目の前で講義をしてくれている心理学専攻の人たちが「心理学の分野で論文を書く」ことに熟達していることは間違いない。
しかし「聴衆である無知な工学関係者」
達の心理を推し量ることに関しては、それほど熟達していないのではないか、という疑念が頭を駆け巡る。

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話がそれた。
問題はユーザビリティだ。
とにかく私の長いサラリーマン人生の中でユーザビリティ原理主義者に悩まされたことは1度や2度ではない。
そうした経験から、私は「アンチ·ユーザビリティ原理主この機会にそれを披露したい。
ユーザビリティの観点から、どう考えても間違っているのに広く世の中で使用され、かつ立派に社会に貢献しているインタフェースはちゃんと存在する。
義論」を打ち立てるに至った。
以下3つの例を挙げる。
例1·自転車ユーザビリティ原理主義者は、自転車についてどう考えるのだろう。
寡聞にして、練習なしに自転車に乗れた人の話しを聞いたことがない。

 

インターネットとしてそんな感じがします

そして高い金を出してさらに新しい自転車を買うのだ。
こうした行為すべてが、ユーザビリティの原則に逆らっている。
しかし人々は自転車に乗り続ける。
それはなぜだろう?
それは「不便」
さと裏腹のメリットがあるためにほかならない。
自転車は本質的に不安定である。
それ故運転することができるまでにかなりの修練を必要とする。
しかしその「不安定さ」故に俊敏さ、柔軟さ、効率性(Wikipediaを信じれば、移動に必要なエネルギーは徒歩の15とのこと)を得ることができるためではないか。つまり「不安定さ「「不便を伴うメリットを多くの人は受けていれているのだ.しかしそれとともに、自転車が今日の形態に落ち着くまでの歴史についても興味を払う必要がある。

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ロボット世界的には日本政府も日本企業それどころか何も知らない人に見せても何をするものなのかもわからないと思う。
自転車の形態はここ100年以上変化していないようだ。
例えば「現代のハイテク」
を駆使すれば、練習無しでも転ばず運転できる自転車を作ることも可能かもしれない。
いや、そんな面倒なことを考えなくても補助輪をつければよいしかし現実を直視しよう。
ほとんどの人が、膝をすりむいたり痛い思いをしながら自転車の乗り方を習得し、補助輪をとっばらってしまう。


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